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Rhythm and Hope 2012 (リズム アンド ホープ2012) [イベント]

世界の難民が置かれる窮状に目を向けるための、歌と踊りの祭典
国際難民支援会 (RIJ) は、皆様をリズム & ホープ 2012にご案内します。

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今年で3年目を迎えるリズム & ホープ 。風変わりな国際的ギターポップバンド、The Watanabesや、東京を拠点として活動するその他アーティストによるライブパフォーマンスが行われ、楽しい夕べとなること間違いありません。当日行われるラッフルでは、クルーズ付きハワイ・ヒルトン・ワイコロア・ビレッジ 宿泊4泊などの豪華賞品が当たります。
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世界中の避難民が生活を立て直し、人間としての尊厳を取り戻す助けとするため、皆様の力をお借りして寄付金100万円を集めることを目標としています。

日程: 3月29日 木曜日

時間: 18:30-23:00

会場: 西麻布 SuperDeluxe

参加費(寄付金となります): 前売り4000 円、当日 5000 円

申し込み: http://rij.smoothweb.com/rhythm_and_hope_201203


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皆様の暖かいご支援をお待ちしております。寄付受付ページ

国際難民支援会(RIJ)の2011年 [お知らせ]

2011年は、世界中の人々にとってまさに激動の一年となりました。中東では、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が起き、自然災害も発生しました。日本で起きた地震と津波は、多くの死者を出し、何千人もの人々に混乱を与えました。一方で、世界の多くの国々では、今なお洪水や飢餓に苦しんでいる人々大勢います。

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紛争によって避難を余儀なくされた人々の数は記録的な規模となりましたが、それは長引くことはなく、以来、リビヤ、チュニジア、コートジボアールといった国で多くの人々が帰還を果たしました。ビルマ(ミャンマー)の情勢は、過去何年にもわたる状況に比べ、より明るい見通しとなりましたが、カチン州ではまだ多くの問題が取り残されています。

暗いニュースのなかで、RIJ(国際難民支援会)の活動は人々に希望を与えてきました。ここで明るいニュースについてもお伝えしたいと思います。

RIJ(国際難民支援会)は、タイ、ビルマ、チャド、ウガンダ、セネガルにあるコミュニティと長くパートナーシップを継続しています。プロジェクトは避難民やIDP(国内避難民)によって運営されており、年を追うごとにプロジェクトが成功していることが証明されています。プロジェクトのリーダーたちは、なにがコミュニティにとって最善であるかを知っており、そこに関わる人々の文化的な側面も十分理解しています。私たちは特に、プログラムのなかで中心的な役割を担う若者たちに対し資金援助を行っています。タイ・ビルマ国境のキャンプでは、DARE(薬物とアルコールからのリハビリテーション教育)プログラムといったプロジェクトが進んでおり、中毒やそれに伴う暴力の数を減らしています。

若者を動かすことでメッセージを伝え、目的意識を高めるだけでなく、コミュニティのなかで彼らは尊敬を得ることができます。ウガンダでも同じような状況を見てきました。学校の子どもたちが家庭菜園や植林をはじめ、それがコミュニティ全体に恩恵をもたらしているのです。チャドでは、クリスチャン・ブラインド・ミッション(キリスト教系の盲人支援団体)が運営する目の診療所に支援を続けています。診療所ではこれまで1,500人以上の人たちを助け、基本的な衛生管理が目の炎症のほとんどを慢性病に至らずに治癒できることを教えてくれました。

2011年7月には、RIJは世界で最も新しい国、南スーダンにおけるプログラムに資金援助を始めました。同国は今も民族間の争いといった昔からの問題に直面していますが、7月以来40万人もの避難民が生活再建のため帰還しました。私たちの資金は訓練と小規模ビジネスを始めるための機会を彼らに提供しています。

私たちは、これまでのコミュニティ・プログラムへの資金援助の経験を生かし、今度は日本で津波被害にあったコミュニティに対し、同じような関係を作り上げることになりました。10月に、宮城県南三陸の歌津町コミュニティへの支援を開始し、津波で崩壊した商店街復興のためテントマーケット・スタートアップの資金を提供しました。

他の活動と同じように、これは、コミュニティのための、コミュニティによって作られた、コミュニティ・プロジェクトなのです。

RIJ(国際難民支援会)が資金援助しているプロジェクトの詳細については、ぜひウェブサイトをご覧ください。

こうしたチャレンジングな年に、財政面での支援をして下さった方々、運営していくなかで、あるいはボランティアとしてご協力頂いた方々皆さまに心より感謝申し上げたいと思います。皆さまの存在なしには決して成し遂げられなかったでしょう。

皆さまにとって素晴らしい年になりますように。


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Jane Best からのメッセージ:2011年から2012年へ [お知らせ]

2011年は、RIJにとって悲しいニュースで幕を閉じようとしています。

RIJ評議員の、新美春之昭和シェル石油株式会社名誉会長が肺炎のため永眠されました。

新美氏は、RIJの再設立と再構築に力を注いでくださりました。新美氏と共に仕事をした楽しい思い出、特に氏が亡くなる3日前の12月5日に開催されたTree of Hopeでの思い出を、私の宝にしたいと思います。我々の想いは、氏の妻の素子さんと、彼らのご令嬢とともにあります。

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東日本大震災に始まり、とても荒れ狂った年となりました。
その結果、ボランティア精神や非営利セクターの成長が盛り上がりました。
我々は、この社会インタラクションの精神が日本で持続的に成長することを願っております。
RIJは、紛争によって避難を余儀なくされた人々のためのプロジェクトに資金提供することのみならず、日本でのプロジェクトを支援するという新しいチャレンジに直面しました。

RIJを代表して、この大変な年を通してRIJを信頼し続けてくださった友人や支援者の皆様に感謝申し上げます。我々は、長期にわたってパートナーシップを組んでくださっている企業様や個人の皆様に加えて、新しい友人や支援者様達の協力をいただくことができました。
活動の源泉は絶望ですが、希望を作り出すことは可能です。

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多くの人々が生活を再建することを支援するため、
2012年も引き続きパートナーシップやプログラムを行って行きます。
皆様、よいお年をお迎えください。

RIJ会長 Jane Best


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第22回 Tree of Hope (希望の木)が開催されました。 [イベント]

“5…4…3…2…1!”

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セントメリーインターナショナルスクールアンサンブルチームによるカウントダウンで、丸の内オアゾでのTree of Hope(希望の木)がスタートしました。

2011年12月5日、RIJは22回目のTree of Hopeを開催しました。

難民の子供たちの生活に光を:世界の難民の子供達のための本年度のファンドレイジングのイベントでした。今年のTree of Hopeは特別で、学生(によって計画実行されました。秋篠宮妃殿下ゲストスピーカーそしてミュージシャンとして参加いただきました。



イベントはセントメリーインターナショナルスクールのコラース隊の美しい歌声で始まり、RIJプレジデントのジェーン ベストと、三菱地所の福澤様のスピーチが続きました。そして、4人の子供たちが秋篠宮妃殿下によるイルミネーション点灯に参加しました。その後、順天中学校の生徒によって難民の子供達が直面している状況に対する思いを述べてもらいました。その後、早稲田大学の学生が東北の子供達のための夢プロジェクトについてのビデオ上映とスピーチがなされました。

イベントはチャン ブー リーによるメッセージ「世界を変えたければ自分が変わろう(マハトマ ガンジーの言葉)」で閉会されました。



セントメリーバーシティーコーラス隊、abCde、早稲田大学のアカペラグループなどが演奏をしました。



この愛のあふれる時節、沢山の人々の心が22回目のTree of Hopeで暖められました。

ザンビアの最年長難民が100歳の誕生日を迎える

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MAYUKWAYUKWA難民施設(ザンビア)8月2日

Erculano Salugardoはアフリカで最も古い難民施設で、

仲間達が歌い、踊り、また涙する中で、

プレゼント、乾杯、メッセージを受け取り、100歳の誕生日を迎えた。




100歳を迎えたSalugardoは、ザンビアで最年長の難民である。

彼はこの記念すべき誕生日パーティーで、あふれんばかりの喜びを感じていた。



長生きの秘訣は健康に気をつけることであると語ったあと、歌に参加した。

パーティーは、UNHCR、ザンビア政府、そして施設にいる難民達によって開催された。

Salugardoは、ケーキとプレゼントをプレゼントされた。

ただ1つ欠けていたのは、彼の家族である。



祖国の内戦から逃れてきた彼は2001年の元旦にザンビアに到着した。

その日は彼の人生において最悪の日であったと彼は言う。

なぜなら、妻と4人の娘達をアンゴラのHUamboに残してこなくてはならなかったからだ。



「アンゴラに残してきた妻や子供たちがどうなったか、あまり情報がありません。

彼らと祖国のことをよく考えます」とUNHCRに伝え、

まだ今年の広範に祖国へ戻るかどうか決めていないということも付け加えて伝えた。



Mayukwayukwaに到着したあと、彼は1966年にザンビア西部に作られた郊外の施設へ移された。

Salugardoは、そこでの10年がもっとも孤独であったという。

ほとんどの時間を自分の小屋で過ごした。しかし、若いアンゴラ人達にアフリカの民話や

教育の重要性について話をするのは好きであった。



「私を支えてくれるコミュニティーのメンバーたちととてもうまくやっていた。

孤独感から結婚を考えることも時々あった。しかし私のような年齢の男を受入れてくれる

女性はいなかった」と嘆く。



彼はずっと農民であった。しかし今は雇い人に頼っている。

友人のひとりである Antonio Chitunda Kanyamaは、

Salgardoは家族を失ったにも関わらず気丈な精神を維持している、と話す。

「過去にはできたことのほとんどができないが、

直面する多くの困難を彼が切り抜けてきたように、我々は自らの方法で成し遂げる」と

Kanyamaは言う。



Salugardoは高齢なため脆弱な難民に分類され、これは彼が定期的な援助を受けられることを意味する。





UNHCRのザンビア代表の Joyce Mends-Coleは、Salugardoを祝福し、

かれの知識、経験、英知は今後もコミュニティーに資すると告げた。



ザンビアは現在4万9千人の難民を抱え、そのほとんどがアンゴラ人である。

2001年から2010年で、合計76,500人のアンゴラ人がザンビアの難民キャンプや施設から帰還している。



By Kelvin Shimo in Mayukwayukwa, Zambia



Extracted from:http://www.unhcr.org/4e3808986.html
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